CALMな時間

綺麗事

なおちとせ 2話

このブログについての注意事項。


 1.食べられません。

 2.違う意味で目に入れないでください。

 3.高温多湿を避け、なるべく涼しい所で読んでも変わりません。


二話 見えない贈り物


朝、何やら外から音楽が聞こえてくるのに気がついた千歳は目を覚ました。

「なおー」

直人は千歳の声を聞くと、ゆっくりと起き上がった。

「ん…。ちとせ、もう起きてんのか」

「外からなにかきこえる」

「あぁ。これか」

その音楽は直人にも聞こえていた。

「この集落は朝になると、辺りに設置されてるスピーカーから音楽が鳴るんだよ」

「ふぇー…。朝だけ?」

「いや、朝と昼と夕方と…夜も鳴るな。計4回ってとこだ」

「夜もなるんだ…。早くお家に帰りなさいっていみ?」

「早く寝なさいって意味だろ。俺らが昨日着いたのは夜遅かったから、聴けなかったけど」

「まえの家は夕方になるときこえてたよね?」

「ああ、そうだったな。でもこっちは4回とも違う音楽なんだよ」

「田舎って、こまかいね」

「まぁ…田舎だからって訳じゃないと思うけど」

直人は夜中の出来事を思い出したが、あれは夢だったのか?とそれほど気にはしていなかった。

二人は洗面所で顔を洗い着替えると、昨日買った朝ご飯を食べることにした。

「たって食べるの、おぎょうぎわるいんだよ?」

「椅子もテーブルもまだ届いてないんだし。…和室で座って食うか」

直人は障子戸を開け、和室に光を取り込んだ。

「いただきます!」と朝日に照らされた千歳がパンにかぶりつく様子を見ながら、直人も朝ご飯を食べた。

「さて、引越し屋が来る前に掃除すっか」

「うん!」

直人は車に積んでいた掃除機や雑巾などの掃除用具を持ってきた。

「二階はまだ見てないだろ?これからちとせには、二階の掃除を任せまーす」

「ラジャー!」

千歳はビシッと敬礼をすると、湿った雑巾を持って階段を駆け上がった。二階に着くと、早速吹き抜けのリビングを見下ろした。

「どうだーちとせ。二階からの景色はー?」

「なおがちっちゃくみえる!」

「そこまで高く無いだろ…。あんまり乗り出すと、落っこちんぞー!」

千歳は後ろを振り返ると、階段側とその隣の左右2つの部屋があることに気づいた。

もしかすると、どちらかが自分の部屋になるのかと期待を寄せながら、千歳は一生懸命に掃除をした。

それから数分程経ち、直人が二階へと上って来た。

「どうだー。終わったか?」

「あっ、なお。このへやって?」

「お前の部屋だ…。と言いたいとこだが、二部屋ある。ちとせが選んで良いぞ」

「えっ?わたしが?んー…」

真剣に悩んだ千歳はあまり時間をかけずに決断した。

「こっち!」

千歳が指を指したのは、階段から奥側の部屋だった。

「お、そっちにするのか。今すぐ決めなくても良いんだぞ?」

「だって早くきめないと人生がもったいないし」

「そうか…。で、何でそっちにするんだ?」

「うん。まどが多いから」

「なるほど。単純だな。」

直人はもう片方の部屋の扉を開けた。

「じゃあ俺はこっちの部屋な。隅々まで綺麗にしたか?」

「んー、きれいだったり、きれいじゃなかったり」

「じゃあ、手伝うよ」

二人は残りの掃除を終わらせると、和室の畳に横になった。

「やっと終わったー」

「たぁー」

すると、何かを思い出したように直人が立ち上がった。

「ちょっと待ってろ」

直人は昨日荷物を置いたリビングに戻ると、なにやら丁寧に包まれた物を持って来た。

「おかあさん?」

「そっ」

直人が取り出したのは額縁に入れられた燈の写真だった。それを和室の天井に近い壁の隙間にはめ込み、固定した。

「これで、いつでもちとせの成長を見ててくれるぞ」

ちょうどその時、外でトラックが停まる音がして、家のインターホンが鳴った。

「おっ、来た来た」

数人の引越し屋がテレビや冷蔵庫、テーブルや椅子などを次々に運び入れた。

手際よく、あっという間に全ての家具を運び終えると「ありがとうございましたー」と引越し屋は引き上げていった。

「お疲れ様です」

「おつかれさまー」

二人はトラックを見送ると、昼まで集落の中を散歩する事にした。

「わぁー」

外へ出ると、千歳はまっすぐと空に向けて手を伸ばした。

「くもに手がとどきそう!」

雲の間から見える日差しが眩しい。

「ああ、前住んでたとこよりも標高が高いからなぁ」

「ひょうこう?」

「どれだけ空に近いかって意味だ」

「ねぇ!あれ見て」

「話を聞け」

千歳が指を指したのは、家から細い道路を挟んだ隣にある駄菓子屋だった。

「ちょっとだけ見てっていい?」

「おん」

その駄菓子屋は時が止まっているのかのように、昔から変わらないままの様子だった。唯一、直人が見て変わっていたところは、奥に座っているここの老夫婦だった。

「あら、いらっしゃい」

駄菓子屋のおばあさんがゆっくり立ち上がる。

「お久しぶりです」

「まあぁ!久しぶりじゃない。…えーっと名前は…」

「直人です。このやり取りももう100回目くらいですね」

「ばあさん、直人君だよ」

「いゃーねぇ。ジョークよ…。あら、その子は?」

「あぁ、娘です。ほら挨拶」

「こんにちは!ちとせです」

「あらぁ、元気な子ね!いくつになるの?」

「えっと、6さい」

「あんた聞いた?6歳だって!直人君が初めてこの店に来た時とおんなじよ」

「そうでしたっけ?」

「そーよ。若いのに忘れちゃったの?」

「いやぁ…」

「見た目もぜんぜん変わんないんだから。まだ大学生って言われるでしょ?」

駄菓子屋のおばあさんと直人のやり取りを聞きながら、千歳は周りの駄菓子に興味を惹かれていた。

「ちとせ。どれか欲しいのか?」

「これってどんな味がするの?」

「あぁ、ほとんど前住んでた所では見なかったもんばかりだからな。どれか好きなの選んでいいぞ」

千歳は2つほど選んだ駄菓子を買って貰い、駄菓子屋夫婦に軽く手を振りながら店を後にした。

二人が歩き始めると、すぐ先の家の敷地に軽自動車が入って行くのが見えた。

「あれって…」

「どうしたの?」

「いや、ちょっと付いて来てくれ」

直人はその家に近づいて、車から降りてくる人を見た。その人物も直人に気づくと、近寄って来た。

「あぁ、やっぱり。さっき車から見えたんだよ」

「久しぶりだな。享平(きょうへい)」

「直人…大変だったな」

「まぁな…。でも、こいつと二人でなんとかやってるし」

直人は千歳の頭を撫でた。

「あっ、ちとせちゃん。久しぶり」

千歳は何も言わず、直人の顔を見上げた。

「ほら、この前話した俺の知り合いだ」

「こんにちは!」

「こんちは。いやー、最後に会ったのは赤ん坊の頃だったもんね。七五三木(しめぎ)享平…。覚えてないかぁ」

「お前、軽自動車買ったんだ」

「いや、これは嫁のだよ」

そう言うと「そうだ。ちとせちゃん、ちょっと待っててね」と享平は自宅へ入っていった。

少し待つと、享平は背丈がちょうど千歳と同じくらいの子と出てきた。

「ほら、この子がちとせちゃん」

「こんにちは」

その子は軽く頭を挨拶をした。

「娘の紗和(さわ)」

「ねぇ、ちとせちゃんはなんさい?」

「ろくさい」

「おんなじだ!」

紗和は千歳に近づくと「ねぇ、ちとせちゃんのお兄さんってなんさい?」と尋ねた。

千歳は笑いながら「なおはわたしのおとうさんだよ」と答えると、紗和は驚いた顔で直人を見た。

「ちとせと仲良くしてあげてね」

「うん!」

「あれ、でも何でお前、こっちの集落に住んでんの?実家暮らしじゃあ…」

直人が尋ねた。

「ほんとは遠くに引っ越す予定だったんだけどねぇ。結局近くの集落に家を建てたんだ。地元愛ってやつ」

「なんだそりゃ」

「それはそうと、直人もなぜにここに?」

「いやぁ、すぐそこに越して来たんだよ」

「マジか!またどうして?」

「まぁなんつーか、俺と燈が育ったとこで、こいつを育てたいって思ったんだよ」

「なんだそりゃ」

「まぁ、仕事もすぐそこの病院に移る事になったし。明日挨拶に行くんだけど」

「へー、大変だなぁ。ま、いつでも遊びに来いよ」

「おん。奥さんに宜しくな」

「おお。また」

直人が再び歩き出すと、千歳と紗和は手を振って別れた。

「もうこっちでも友達ができたな」

「うん!」

少し歩いた集落の端の方には石段があり、それを登ると公園があった。

「いやー、久しぶりだな」

「前にいたところの公園より遊びどうぐがある!」

「そうだな。昔と変わんない」

公園を囲むように立っている巨大な木々を見ながら、懐かしさに浸っていると千歳が言った。

「ねぇ、この字はなんていうの?」

千歳はボロボロの小さな看板を指差した。そこには『ポイ捨ては恥』と書いてある。

「ポイすてははじって書いてあるんだ」

「"はじ"ってなに?」

「恥ってのは、はずかしいってこと。ポイ捨てはカッコ悪いし、見っともないだろ?」

「でも前すんでたところは、いろんな道にゴミが落ちてたよ?向こうは、"はじ"なのかなぁ」

「うーん。人が多い所は、見っともないことをする人も多くなっちゃうんだろうな」

「人が多いと"はじ"もおおいの?」

「まぁ、皆んながルールを守れば良いだけの話なんだけどな。でもやっぱ、人が多い所は、難しいのかもね…。さっ、そろそろ戻るか」

二人は元来た道から少し外れた別の道から家へと向かった。その道は直人がしばらく見なかった内にモダンな感じの新築が建ち並び、懐かしさから新鮮さを直人に与えた。

「きれいな家がいっぱいあるね」

「こんな田舎の集落なのに、結構新築が建つもんなんだな」

「しゅうらくって、何人くらいいるの?」

「さぁーどうだろ?さすがに百人も居るのかなぁ」

「ここの名前ってなに州なの?」

「何州?あぁ、九州とかの事?」

「わたし当てるね!うーん、ケンタッキー州?」

「なんだそりゃ。福島県ケンタッキー州って名前だったら大変だろ」

「えぇ…」

「残念がるなよ。州はもっと広い所を指す言葉なんだよ」

そんな話をしている内に家の前まで帰って来た。

「そうだちとせ。ちょっと付いて来てごらん」

直人は家の敷地をぐるりと回り、庭を通過して裏へと千歳を案内した。木々が立ち並ぶその先は小さな山の様に短い坂があり、そこにはある建物があった。

「神社だ!」

千歳は鳥居の前に立つと「さっきとおった道だ!」と指を指した。

「景色良いだろ?」

やはりそこ場所も直人が小さい頃によく来た所だった。

気づけば「よく享平達とここで変な遊びを思いついては、はしゃぎ回っていたなぁ」と直人は落書きだらけの思い出の蓋を開けていた。

「なおー、おなか空いたぁ」

「ん?あぁ、そうだな。買い物がてら、昼でも食いに行くか」

「さんせー」

家の前へ戻ると、すぐ近くを紗和が自転車で通りかかった。

「あれって紗和ちゃんだよな。もう自転車に乗ってるよ」

「わたしは…まだのれないよね」

「そだな。でもこれからは自転車に乗れないと不便だぞ。友達できて、どこか遊び行くのも大変だからな」

「でもすっごいれんしゅうするんでしょ?」

「そりゃなぁ。でもいつまでもそんな事言ってたらずっと乗れないままだぞ」

「うん…」

「まぁ、自転車はまた考えとくよ」

直人は家の戸締りをして、財布と車のキーが入ったボディバッグ取ってくると、千歳を乗せて車を走らせた。

「しゅっぱーつ!」と千歳が元気良く言った瞬間だ。

「あっ、ガソリンがもう無いや。すまん、先にスタンド寄っていいか?昨日、あれだけ走ったし」

「いいけど、10びょうだけ」

「えー」

直人は車を走らせ、スタンドに入ると、スタッフが車の横まで走って来た。

「いらっしゃいませー!」

「レギュラー満タン」

そう言うとスタッフは真っ白な窓拭きを渡してきて「よければ、こちらで車内を拭いてください」と言った。

「どうもー」と直人は車内のフロントウィンドウを拭いて、スタッフに窓拭きを返した。

「ねぇなおー。こっちは人がいるの?」

「ああ。向こうはセルフだったもんな」

「いなかって、やさしいね!」

「うーん?そうだな」

ガソリンを入れ終えると、直人は街の方へと車を向かわせた。

「お昼。何がいい?」

「んーん。なにがいいかなあ」

「もう少し行くと、すんごい美味しいラーメン屋があるんだけど、そこはどう?」

「そこにする!」

「決まりだな」

着いたその店はちょうど昼時でもあって、二組ほど待ってからようやく席へと案内された。二人が注文をしてから、あまり待たされずにラーメンが運ばれて来た。

二人は「いただきます」とラーメンをすすった。

「相変わらず旨い」

「あいかわらず!」

「お前は初めてだろ」

「え?わたしもラーメンたべたことあるよ?」

「いや、ラーメンもいろいろ種類があってな」

「はなしながら食べるのおぎょうぎわるいんだよ?」

「な?…すいません」

二人はラーメンを食べ終わり、車へと戻った。

「ラーメン、ラーメン、ほっめるとのびーる、ラぁーメン!」

「頼むからシートベルトしてくれ。ラーメンが褒めて伸びたら怖いわ」

数分もしない内に、大きなデパートや電気屋といった風景に包まれた。

「え!?ここホントに田舎なの?」

「だろ?こっちも買い物できるとこなんて、たくさんあるんだぜ」

直人は大きな建物が建ち並ぶ中でも、何度か来たことのあるデパートの立体駐車場へと車を停めた。

「そうだ。もうすぐ小学生だし、先にちとせの服見るか?」

「そうする!」

デパートに入り、洋服売り場を見つけた千歳はテクテクと一人で歩き始めた。

「ぬおぃ!ちとせ!」

「ん?」

「一人で行くなよ。迷子になるだろ」

「そうだった。ごめんね」

「えっと、子供用の服売り場は…。こっちか」

あちこちで親子が服選びをしている中、二人も千歳の服を選び始めた。

「ちとせ。これはどうだ?」

「えー、もっとお姉さんっぽいのがいい」

やっぱ、この年になるとそう言うものなのかと直人は思った。

「どれか気に入ったのあったか?」

「これ!これがいい」

「んー。ちとせ、今着ている服って、サイズ何だ?」

「サイズ?しらないよ」

直人は以前、燈が千歳の服を選んでいる時のことを思い出した。

「ちとせ、後ろ向いてみ」

直人はその服を千歳の背中に合わせてみた。

「大体こんなもんかな」

「だいたいそんなかんじー」

何着かの服を選び、直人はレジで会計を済ませた。

「あれ?」

今まで隣にいた千歳がいない。

直人が探すと、千歳はすぐ横のゲーム売り場にいた。

「ちとせー。俺の話聞いてたか?」

「このゲーム、CMでみたよね!」

「絶対聞いてないだろ」

直人は、なんで俺がこんなベタな展開に巻き込まれんだと思うのと同時に、燈はいつもこんな苦労をしていたんだなと思わされた。

「俺もゲーム好きだけど、ゲームより遊べる物なんかいっぱいあるぞ」

「同じ遊びなのに、じゅんばんなんてあるの?」

「…ん、んー。まぁ、もっと面白い物なんてたくさんあるし、必要ないだろう?」

「ひつようないものって、何のためにあるのかなぁ?」

そうだよな。俺も小さい頃、そんな事を言っていたよ。周りにはもっと面白い物なんて山程あったのに、何でいつの間にかゲームにハマってたんだろうな。

「はぁ、どれが欲しいんだ?」

「え?わたしほしいなんて言ってないよ」

「は?」

「ん?」

「そうか…。じゃ行くか」

「なおが欲しいゲームあったの?」

「…。そうだ、そういう事にしておけ」

ゲーム売り場を後にし、食品売り場へ続くエスカレーターへと向かう途中だ。

「ねぇ、なお。これ見て」

「ああ、こんなとこにも赤ベコ売ってんだな」

そこには、棚の上に小さい赤ベコから少し大きい赤ベコまでサイズ別に並んでいた。

「なぁちとせ。赤ベコって首が動くのを知ってるか?」

「え?うごくの?」

「見ててみ」

直人は端に置いてある少し大きめの赤ベコの首を上から軽く触った。

「ホントだ!おもしろーい」

千歳が首を縦にカクカク動かす赤ベコを見つめている横で、直人は赤ベコに顔を近づけて自分の首を縦に振った。

「ふーん。そうかそうか」

「なにしてるの?」

「いや、今こいつの言葉を聞いていたんだよ。首を振るだけが脳じゃ無いってさ」

「…なにいってるの?」

そう言うと千歳はまた後ろを向いて歩き始めた。

それから二人は食品売り場で買い物を済ませ、帰ることにした。

帰り道、千歳は急に思い出したかのように言った。

「ねぇなお。きのうね、ランドセル買うって話したのおぼえてる?」

「ああ。…ランドセルだろ?覚えてるよ」

なぜ直人が今日まで千歳のランドセルを買っていないのかは、ある迷いがあったからだ。

それはもう何年も前の事。

「もしも将来、女の子が産まれたらの話になるけどね。私のランドセルを使ってほしいなーって思ってるんだ」と燈が言っていたのを直人は今でも覚えている。燈は小学生当時、ランドセルをとても大切に扱っていて、直人が燈の両親の家を訪ねた時にも、そのランドセルを見せびらかしていた。

千歳には話したことが無いが、その傷一つ無い新品のような赤いランドセルを、千歳が小学生になる時に渡して驚かせようと燈は計画していたのだ。

しかし直人には、それを実行したいと思うと同時にある不安があった。

信号で車を停止させると、直人は軽く目を閉じた。

「ん?」

目を開けると、そこは車内ではなく、見覚えのある景色が広がっている。

「やぁ、久し振りに来たね」

いつぞやと同じ様に、まだ小さかった頃の直人が分かれ道の真ん中に立っていた。

「燈のランドセルを、ちとせに渡すか渡さまいか…か」

「またお前か。今度は何だってんだ?」

「そのランドセル。ちとせは本当に嬉しいと思う?」

「何言ってんだよ」

「そのランドセルを毎日背負って学校へ行くちとせの気持を想像してごらん?」

「何が言いたい?」

「燈が大切にしていたランドセル。自分も大切に、傷を付けないようにとプレッシャーになると思わないかな?それかもしかすると、最新のランドセルが本当は欲しいと思っているかもしれないよ」

直人はため息を一つついた。

「そうだな。それが俺の不安なんだよな…」

「そんなに時間なんかかける必要ないんじゃないかな。先に相談するのが一番早いと思うよ?もし燈のランドセルを受け取っても、気を遣わないといけないなら、ちとせは嬉しくないよね」

そう言われた瞬間。直人は自分の意思を固めた。

「燈の気持かちとせの気持。さて、どっちを優先する?」

「愚問しか言えないのか?それを決めるのは俺じゃ無い」

「はい?」

「お前の言う通り、ランドセルを貰うちとせ本人に相談するべきなんだよ。けど、そのランドセルを見せてからでも、遅くはないだろ?」

小さい頃の直人は左手を軽く上げ「お好きにどうぞ」と言った。

直人がその道を進むと、いつの間にか周りの景色は信号待ちをしている車内に変わっていた。おそらく、今の出来事は一瞬の間だったのだと直人は確信した。

「何でまた、こんな事で悩むんだろうな」

そう小さく呟き、燈の実家へ車を走らせた。

「ちとせ。ランドセルなんだけどさ、今すぐじゃないでもいいか?ちょっとおじいちゃん家に寄りたいんだけど」

「うん。おじいちゃんってお家をくれたほうの?」

「いや、お母さんの方のおじいちゃん家だ」

「そういえばわたしのおじいちゃんって二人いるよね。おじいちゃんが三人とかの人もいるの?」

「三人もいたら、どれが誰だか面倒になるな」

燈の実家へ着き、直人は横開きの玄関を開けると「ごめんくださーい」と言った。

「あらー、直人くん、ちとせちゃんもいらっしゃい」

奥から燈の母が出迎えた。

「すみません突然お邪魔して。これ、つまらない物ですが」と直人は以前住んでいた所で買った菓子箱を差し出した。

「あらー、ありがとう。どうぞ上がってって」と二人は客室へ案内された。

「本当に何から何まで、いろいろとありがとうございました」

「いえ、俺もそんな、大したことは…」

すると廊下から燈の父が顔を出した。

「おや、直人くんじゃないか」

「お邪魔してます。すみせん突然で」

「あっ、おじいちゃんだ」

「おお、ちとせ!辛い思いをさせたなぁ」

「おじいちゃん。わたしね…」と千歳は燈の父と客室から出て、話を始めた。その間、直人は燈の母に用件を伝えた。

「そう…。燈がねぇ」

直人から話を聞いた燈の母は湯飲みに注いだお茶を差し出した。

「ですので、燈の大切な物ですから相談をしてからと思いまして伺いました」

直人が湯飲みに手を付けた瞬間、燈の母は静かに立ち上がった。

「ちょっと待っててくださいね」

そう言って客室から出て行くと、ランドセルが入っているであろう段ボール箱を持って戻って来た。

「私からも、是非ちとせちゃんに使ってほしいの」

燈の母は、段ボール箱の蓋を開けてランドセルを優しく撫でた。

「本当にありがとうございます」

「引っ越して来たばかりなのに、顔を見せてくれてありがとうね」

直人は燈のランドセルを受け取ると、しばらくの間、どこか寂しい眼差しでそのランドセルを見つめた。

「すみません。ちとせには帰ってから渡します」

そう言って直人はランドセルを再び段ボール箱へ入れると、またお礼を言い、千歳を連れて家へと帰宅した。

「なおー。今日の夕飯はなにー?」

「今日はなぁ…。今日は、できてからのお楽しみ」

「おたのしみかー」

千歳はリビングをウロウロしながら急にハッとなった。

「あ!ランドセル買ってなかった!ねぇなおー」

直人は冷蔵庫にしまう食品を入れ終えると、何も言わずに玄関に置いていた段ボールを持ってきた。

「ちとせ…」と直人が言いかけた瞬間だ。

「それランドセル!?」

千歳は念願のランドセルが目の前にあるのだと勘付き、目を輝かせた。

「ああ。けどな、これはお母さんからの物だ。ちゃんと小学校6年間、大事に使えるか?」

千歳は大きく頷くと「だいじにつかう!」と言ってランドセルを受け取った。

「お母さん。いつのまに買ったんだろうね」

そう千歳が言った時、気遣ってしまう事を覚悟しながらも直人は答えた。

「そのランドセルはな…お母さんが小学生の時に使っていたんだ」

千歳の動きが止まる。

「お母さんが?」

「ああ。…お母さんさ、ちとせにこのランドセルを使って欲しいって…それで…」

じっと手に持ったランドセルを見つめていた千歳は、目に涙を浮かべた。

分かっていたつもりだった。千歳に笑ってほしいと言ったあの日から、千歳の笑顔の裏にはずっと悲しみを隠していたんだ。いつ溢れてもおかしくない悲しみを。

だから笑って過ごせるのも限界がある。それは千歳の瞳の奥に、ずっと燈が映っている証拠だ。

たまには思い切り泣いたっていい。そう直人が言おうとした時だ。

千歳は不意に顔を上げて直人に笑顔を見せた。

笑っているのか泣いているのか、おそらく千歳自身も分からないくらい…。そんな顔だった。

「やっぱりそうなんだ」

「え?」

「だって、お母さんのにおいがするから」

千歳はスッと立ち上がると、ランドセルを背負った。あの日から、ずっと見ることができなかったくらいの笑顔で。

「しんぴんみたいだね!」

渡せて良かった。千歳の笑顔は直人にそう思わせた。

直人は壁に掛けてある燈の写真を見ながら心の中で言った。

「見てるか燈。千歳はしっかり笑っているよ」


—Thank you for reading.



つづく